タコノキ

実がなる

雨の日

雨が降っているのにあまりに暖かい。
雨が降っていても暖かいことがある、冬になるとすっかり忘れるが、当たり前である。
じとじとしているが気分は悪くない。
外気がじとじとしているなら、おれもじとじと陰気な顔でとぼとぼ歩いていてもよい。
今日は一日お天道様にしたがって元気でいなくてもよいわけであるから、これはこれで気が楽だなどと考える。
今日はずっと一人である。
一人であるというのは、仕事の作業で一人になることが多いということだ。
つまり今日は一人でじとじととぼとぼしながら、一人で黙々作業をしてればよいわけである。
なんと良い日か。
雨がおれの背中を押している。

おそらく外気を取り入れるだけで運転しているであろう電車のエアコンから感じる外気が、ほどほどに涼しくて気持ちがいい。

寒くなければ雨はこんなにも気持ちが良い。

気持ちが良いというのは元気があふれることではない。文字通り、気の持ちようが良い感じになることだ。
良い感じとはこの場合、空気と空模様の具合にぴったりのじとじととぼとぼした気分を己の中に持ち得たことをいう。

「じとじととぼとぼ」について述べねばならない。
じとじととぼとぼは、塞ぎ込んでいるさまではない。何かに苦しんでいるわけでもない。
手をだらんとしたままゆっくり歩き、ろくに開いていない目でビルの天辺をぼんやり眺め、傘をさすのも適当にやめて、駅についたら眠るともなく目をつむり、また目を開けて他人の頭越しに曇った窓ガラスをまたぼんやり眺める。
塞ぎ込み苦しんでいる時はちがう。
ポケットに手を突っ込んでつかつか歩き、常に下か前を見ている。雨が弱くなったのにも気づかず傘をさしている。電車の中では大して興味もないネットニュースをスワイプし続け、やることなければ寝とけばいいのに目を閉じもしない。こんな連中をよく見る。