タコノキ

実がなる

スピノザ「エチカ」を読んでる(五) -オニオンリングも神である-

第二部に入る。

第一部まで神自体の性質について述べられてきた。
初めに書かれている通り、第二部からは神から生じる一切について話をするという。
しかし一切全部の話をすることは不可能だから、その中の一部について述べていくという。
それは「人間精神とその最高の幸福との認識へ我々をいわば手を執って導きうるもの」だという。
この宣言をおれは第二部を読むあいだ、常に覚えておくことにする。

定義・公理を読んでもよくわからなかった。
定理六あたりまでざっと読んで、ここでの話題がなんなのかわかった。
定理一と二。
ここは書かれている通りのことを丁寧に読み、なるほどと言っておけばよさそうだ。
しかし思惟はともかくとして、
「神は延長した物である」
というのは結構びっくりする。
たとえば今ここにある机に延長、つまりある長さ大きさが存在するように、神もまたある長さ大きさが存在するというわけである。
証明の流れは、こうである。
全ての延長し物の中には、神のある一つの属性が含まれている。また、反対に見ればその属性からあらゆる延長した物を考えることができる。
延長が神のある一つの属性に回収可能なのであれば、神は延長した物と言うことができる。
なるほど。と、いうほかはなさそうだ。

じゃあ、この定理にしたがえば、こう言うこともできるのではないだろうか
神がある属性aをもつことで、「神はaである」と言うことが許されるのであれば、この世の一切について、ようはaに何を当てはめても良いのではないだろうか。
なにせ、神は無限に多くの属性から成るのだから。
たとえば、今おれが食っているモスバーガーのオニポテのオニオンリングも神である、
「神はオニオンリングである」
なんて、言っても、いいはずである。
これは案外間違っていない、むしろ、この「エチカ」においては正しい認識であると思っている。
第一部定理二十五の系、「個物は神の属性の変状」と述べられている。
つまり、個物、オニオンリングのような個物は神の属性の絶対的な本性ではないにせよ、オニオンリングが存在するということは、神のある属性がオニオンリングに変じたということなので、オニオンリングも元を辿れば神の属性なのである。

汎神論とはこれである。
エチカに付せられたカテゴリのひとつとして汎神論という言葉があるが、この第二部の定理一と二がまさに汎神論の立場をはっきりと主張するものである。
つまりこの第二部は、汎神論の立場からみた世界の話。
冒頭の言葉をつなげれば、汎神論を前提として、この世界にある、人間を幸福へ導きうるもの(属性、個物)たちについて説明をしていくというわけである。

第一部は前置きであった。
「エチカ」の本題へ迫るために、神の在り方をきちんと証明しなければならなかった。
確かに存在すると証明された汎神的神が、ぶわーっともたらした、あるいは神から流出したこの世界と人間についての話が、ようやく始まるのである。

また次回。