タコノキ

実がなる

やってられんぜな半休(3162字)

最近は週に一度半休を取ることにしている。やっていられないからである。
やっていられなくなっているのは自分のせいであって、やっていられないようなやり方をしている自分のせいに他ならない。
ようするに、勝手にやっていられなくなっているだけである。

そんなやっていられなさを振り払うために、わざわざ生活圏の遥か遠くまできて、そこからまた1キロちょっと歩いてスーパー銭湯にきた。
ここまで来るのにさまざまの逡巡があった。
まず、仕事帰りに寄り道をしようと決めるのが一大決心だった。疲れているのだから大人しく家に帰ってゆっくりするほうがいいのではないかと、事務所を出て最寄駅に行くまでに考えていたが、これをかき消したのは明日は天気が荒れるという予報だった。
明日は出かけようと思っても気分よく歩くことはできない。
そう思ったらまあ今日このタイミングしかなかろうと思った。
次に、わざわざ生活圏の遥か外側、特急列車で30分の距離まで出かけることを躊躇った。
いや、それは躊躇って当然だろ、むしろただの午後休でなんでそんなとこまで行くんだ、というのがまともなご意見である。
然り、なぜそんなに遠くまで出かけるのか。スーパー銭湯に行きたいにしたって、もっと近所にあるだろうに。そう自分でも思った。
しかしおれは特別急行というやつが大好きなのである。それこそ目的地がなかろうと、適当な距離の切符を買って乗って往復するだけでそれなりに満足するくらい。
なぜわざわざこんな遠くまで行こうとするのか、おれの頭に一瞬生じたそのまともなご意見は、特急楽しいじゃーん、という気分一つで消え去った。
そんなわけで特急に乗って、車窓とシートと揺れと中途半端な時間の車両の静けさを堪能して、降車駅につく。
さて改札を抜け、ここで再び正気が首をもたげる。ここから目的のスーパー銭湯まで道のりだいたい1キロ半はある。仕事帰りの重たいリュックを背負って歩いてまで、スーパー銭湯くんだりに行くべきだろうか?
そんなことを考えながらも足は勝手に歩き始める。歩いているうち、
あー、一人で長いこと歩くのも久しぶりだなあ、それも特別用事があるわけでもない、急ぐわけでもない、歩きたいように歩くだけってのはこんなに気持ちよかったかなあ、
などと、誰もいない道を、ほとんど今書いた通りに一人ぶつぶつと呟きながら歩く。
実際、誰かと一緒に連れ立って歩くのとか、朝晩通勤のために歩くとかいうのとは、同じ歩くのでも体の使い方が全く変わってくる。早いとか遅いとか以上に、膝、足の裏、腕まわり、から効率よく推進力を得て、自らの身体でドライブするような、身体を動かすための動かし方が自然と発生し、おれの身体はたちまち無敵の踏破性を宿し始める。
こんなんいくらでもあるいていけらあ、という気分になった頃、スーパー銭湯にたどり着いた。
本当にどこまでも歩いて行ってやろうかとも思ったが、やめた。たぶん風呂も気持ちいいだろうし。

さて、脱衣所で全裸になる。
もうこれで気分爽快である。ただ快適な温度湿度に保たれた脱衣所で全裸になるだけで気分が良い。
へんなことをいうが、他人の裸に囲まれるのもここでは悪い気はしない。
そういえば、ワンピースの、クロコダイル戦が終わった後、一味とコブラ王が風呂に入るシーンの台詞がめっちゃすきで、よく覚えているのだけど、
「権威とは衣の上から着るものだ」
本編を読むとたいそうすばらしいシーンであるので、読んで思い出してみてほしい。
とにかく、服を脱いだ人間のおもしろさというのは、そういうものだ。

内風呂に入り、身体を温めてから、露天風呂に行く。
外気のつめたさ、湯の熱さ、風、これらを全裸体に余すところなく浴びる。身体と湯だけで味わえる至上の娯楽がここにある。
身体にいろいろな刺戟を加えるのはそれだけで娯楽になる。
かつての自分の悪癖を恥ずかしげもなく紹介すると、一人でラブホテルに行くのがめちゃめちゃ好きでしょっちゅうやっていた。しかも別にそういうお店に電話をかけて「お連れ様」を後から呼びつけるとかするのではない。
まず部屋に入ってとりあえず全裸になる。そのあとについては流石に事実を開陳するのはやめておく。
滞在時間いっぱい全裸で過ごす。飲み物を飲むにせよ何か食べるにせよ全裸でやる。身体一つの娯楽を自分一人でめいっぱい楽しむのが大好きだった。
この趣味は、まあ、金がかかりすぎるのですぐにやめた。
健全な銭湯に話を戻す。
皮膚、臓器、血管等にさまざまの刺戟が加えられ、さまざまの変化がおこる。それらはなんの工夫もいらないうえに極めて質の高い娯楽となる。ラブホに一人で行くより全然安いし。

銭湯を出ると陽が沈んでおり、もう直ぐ夜になるころだった。来た道を歩いて帰る。ブンブンしていた往きとは違って、帰りは身体がのんびりしている。
このスーパー銭湯には何度も来ているので、この道も何度も歩いたことがある。最初に歩いた時は、ざんざんぶりの雨だった。傘もささずに一心不乱に歩いていた。確かその時はずっとピロウズを歌っていた。
休みの日、よく晴れた夕方にここを歩いたこともある。駅から銭湯に行くために右折する交差点があるのだが、そこを曲がらずに直進すると川を越える橋がある。橋を渡り川を越え、対岸の土手をとぼとぼ歩き、別の橋を渡って元の岸へ戻り、畑やら家の隙間やらを抜けて歩いたのを覚えている。
銭湯に向かう道中に地元チェーンと思しきスーパーがある。そこで適当な巻き寿司を買って、川の土手まで行って食っていたこともある。
なんだかんだこの道には愛着を持っている。家からすげー遠いのに。そんなことばかりしていた時期があるので、そういう道が都内近郊あちらこちらにある。

鏡を見る。帰りの電車の窓に映る自分の顔を見る。往きより目がよく開いている。事務所にいると決まって襲ってくる気絶しそうな眠気と頭痛はすっかり鳴りをひそめ、ほどほどに身体を動かした疲労感がある。

ふと、仕事をしている時の自分のことを思う。
おれが一日かかることを一時間でやってしまうような人がいる。そいつはちなみに、おれが三日かかってもできないことは、その場で相談しながらちょいちょいとやってしまわれる。
人にあーしろこーしろ言ってる時のおれはずっとたどたどしい言葉で喋り、謝る時だけは流暢になる。ひどい時は考えが全くまとまらず、人前で2分くらい黙りこくっていることがある。こんなんなので、マジで、なんでおれが人にあーしろこーしろ言うような立場にいるのかよくわからない。
そんなふうに思っている間に、隣のあいつは配下の十人くらいにテキパキ指示を出しているのである。
得意なことをやっている人間というのは、隣のあいつや彼のように、凄まじい能力を発揮する。多分おれもどこかにおいてはそうなのだろうが、何が得意なのやらよくわからない。
彼らもそうなのだろうか。

キーボードから手をのけると不意に吐き気が襲ってきた。そういえば動く乗り物の中で作業をするのが苦手なのだった、忘れてた。座席にもたれて天を仰いでやり過ごす。

外を歩いていた時の陽気な気分はどこへやら消え去ってしまった。急速に明日が面倒になる。

頑張り屋さんのフリがそろそろもたなくなっている。思えば、それがもたなくなったあとの自分を知らない。なぜかって、もたなくなった頃にいつもその場を離れているからだ。
まあ、すぐにこの仕事をやめることもたぶんない。頑張り屋さんのフリをやめたおれは、はたして周囲からどんな感じに見られるだろうか。きっとじわじわ嫌われるに違いない。あいつも入った頃は良かったとか言われるのである。見ものである。