タコノキ

実がなる

スピノザ「エチカ」を読んでる(二)

思うこと

通勤電車の中でヤな気分になりながら、ふと思う。
いくつかの定義、いくつかの公理を踏まえ、十数の定理によって存在することが証明されたスピノザ的神の実体は、はたして何の救いになるのであろうかと。
われわれ俗人が神と口にするときはいつも、その神がどのようにしてわれわれを救ってくれるのかが問題になるわけである。
無限の属性を持つただ一つの実体。人間的意志などそんなものはもっておらず、世界は全てその実体の変状である。
なんだかすごそうだが、さて、こんな神がいったいなんの救いになるというのだろう。

旧来的な神、人間的感情、意志をもつ全能の存在。われわれを「作りたもうた」存在、われわれに無限の慈悲を、慈しみの視線とともに与えるはずだったこの存在。
そんなふうな救いの神、われわれと同じ人間的意志でもって人間救おうとして救うなにかがどこかに存在し、われわれを見守っている。
そうした信心をどうしてわざわざ否定する必要があったのか。
それも、ついでではなく、本の第一部において、これから展開する哲学の前提としてまずもって否定しなければならなかったのか。

救いの神がいることくらい、誰でも信じてよかったはずだ。いつか天から人のための奇跡が人に手渡され、限りない幸福を得ることを信じて日々の労苦に耐える人々がいたはずである。
だがしかし、こうした心持ちで生きる人々が人間の自由から最もかけ離れた人々であると思っていたからこそ、スピノザはあえて開口一番、や、そんなのは違う、と言ったのではないだろうか。
と、不束にもおれなんかはそう思う。

スピノザがこの部で言わんとする真の観念の真逆のありようとは、だいたいこのようなことになるだろう。

有限の実体、無数の実体、分割可能な実体にかこまれ、それぞれがばらばらの本性をもつ混沌極まる世界におのれがあると認識する。それらはみな造物主たる意志のもと、神の作りたもうたものである。
しかし、それらをどうして神が作ったのかはさっぱりわからない。わからないがきっと、この世にあるのだから、神は人をきっと、わたしが神を愛そうと努める通りに、わたしを愛しているのだから、意味のあるものなのだろう。
やがて神はわたしに手を差し伸べるにちがいない。と、信じて生きる。

なんだかまあ悲愴な感じがして、人間ちゅうのは無力よの、と言いたくなってしまうし、哀れみつつ応援しちゃうような、そんな世界観である。

スピノザ曰く、物体的実体は無数にあり、ばらばらであり、有限であるが故にいくらでも分割可能であるというその認識自体が、真の神の観念を捉え損なっているのだという。
いやあそうはいってもまんじゅうは半分に割ったら半分になるしなぁ、なんてふざけたことを考えながら、帰りの電車に乗りかかると、ひとつ気に入らない広告がおれの目に入ってきた。

「クラフトビールうまい。今まで何杯損してたんだろう」

この、「今まで何杯損してたんだろう」、これが絶妙におれの神経を逆撫でする。なんでかなぁと思う。
クラフトビール以外のビールをうまいうまいと、また時には別にうまくもねえなと思いながら飲むこと、それが損だというのかよ、という怒り。
というのとは、また、異なって、
この「今まで何杯」というのは、有限的ちゅうのか、人生で飲めるビールはトータル何杯、みたいな、人生ン十年として全部で何日、毎日飲むと肝臓が壊れて死んでしまうから、週に二日は飲まないこととして、たまにビール以外のもんも飲むとして……みたいな勘定と根底を同じくするわけだ。
同じような文句は他にもある。
毎朝五分の習慣も、一年続けたら?まあ何分かわかんないけどそれだけ積み重ねればまわりと差がつきまっせ、とか。
一日五分なんて一日五分以外のなんでもなかろうに、なんて、おれはいっつも思う。
そんな足し算みたいに能力が積み重なるなら苦労せん、とか言いながら、おれはイヤイヤ仕事してるわけだ。追い越すみなさんはどうぞ追い越してもらってかまわん。
話がそれた。
ともかく、五分を積み重ねて五百分、みたいなのも、人生のビール全体に占めるクラフトビールの割合を勘定するのもどっちも、時間やビールを有限で、分割可能で、足し算したり割り算したりできて、そんいうもんだと考えてるわけだ。
おれはこれ本当に気に入らん。
時間にせよビールにせよ、そんなもんだっけ、時間やビールの本質がそんなもんであって、お前本当に嬉しいんけ、と思う。

「水は水である限りにおいて分割される」
「しかしそれが物質的実体たる限りにおいてはそうではない」
「その限りにおいては水は分離されも分割されもしない」
「さらに水は水として生じかつ滅する。しかし実体としては生ずることも滅することもない」

時間もビールも「時間」であり「ビール」である、つまり水である。
われわれは水を水として見ることしかできないのだろうか。そんなことはないだろ。

そんな話を、スピノザさんはしてんじゃねえかなぁ。
以上、などと、ビール一杯で酔っぱらい気味のおれは、思うわけである。