タコノキ

実がなる

回想: 学部3年生のころ

転学を考えた。まあ、ただ単に今の学校の教授とうまくいかなかっただけ、もっといえば自分自身がうまく研究室というものに付き合えなかっただけである。場所を変えれば全然違うことが待っていると思った。

某大の先生にメールした。会えることになった。
長い休みのうちにその大学の研究室に行くと、先生が待っていた。椅子にこしかけ、向かい合って話す。このシーンを思い出すとき、なぜかわたしは先生を見上げていたような気がする。実際椅子の高さがそんなに違うこともないからそんなことはないのだが、何かあの瞬間を振り返る自分の中の手がかりなのかもしれない。
諭された。そう言った方がいいだろう。転学は勧めない、だが君には熱意があるのを感じる、それをもっていないやつはうちにいくらでもいる、まずは自分の目の前にあることをやってみてはどうか。与えられたものを頑張るのも大切な体験である。先生はそう言った。

わたしはじつに上手に諭され、休みが明けたら普通に研究室に通おうと思った。思い返してみると、あの先生はかなり真剣になって私のことを考えてくれていた。だから私も、意に反することを言われても聞く耳を持たざるを得なかった。
通い始めた研究室も別に楽しくはなかったが、当時の私はなんとか楽しくなろうとしていた。一生懸命やっていた。努力の方向は的外れだったが。細部に固執し、与えられた題材を全うしようとは思わなかった。先にやっている同級生たちと比べて遅れをとっているし、同級生たちはもうそれなりに彼らだけで仲良くやっているのでなんだか居心地が悪いのを気がつかないふりをして、明るくお気楽に振る舞った。それが先生の目にふれ、場に適さない行動として厳しく注意されたことがある。
輪に入りそこねたから、輪の外で楽しそうにしていた。まるで輪に入っているかのように。そうしなければ輪の中で生きていられなかったのだ。皆が当然のようにできている手技がおぼつかず、PCR、電気泳動のゲル作りなど、皆当たり前のようにやれることをやるのが怖かった。皆が自分の拙い手際をどんな目で見ているのだろうと思った。だから失敗するたびヘラヘラしていた。
逆に、まわりの誰もやっていない作業をやるのは気が楽だった。下手なのかうまいのか誰もわからないからだ。あとは本当に単純な、何も面白味のない作業をするのも好きだった。ゴミ捨てとか、無水エタノールを70%に薄めておくとか。そこに固執して、まわりが当然やるようなことを一つも真面目にやらなかった。評価されたくはなかった。どんなにつまらなくても良いから、とにかく役に立って、ただの便利な雑用でも良いから居場所が欲しかったのである。雑用になりきるのは気分がいい。ただいるだけで感謝されるし、その感謝を面と向かって述べられることもない。必ずいつか誰かがやらなければならないことが明白なのだから、やれば絶対に正しいし、やって感謝はされるかもしれないが文句を言われることはない。昔からそうかもしれない。人に評価されるのは、よかれ悪かれ気分がよくない。いつもおれはやりたいことで評価されず、別にやりたくもないことでありがたがられる。どうせがんばったってそうなのだ。人から評価されると気分が悪い。評価ではない、人から有り難がられると気分が悪いのかもしれない、自分の意に反することで褒められるほど自分を分裂させることはない。いつも意に反することで有り難がられた。ありたいとおりにあらせてくれないという点から見れば、好きなことをさせてくれないのと同じである。おれは、生涯、だれからも有り難がられることなく、ただ邪魔にならないだけの、べつに特段感謝を述べる必要もない、どうでもいい人たちに感謝されてもどうだっていいし、感謝とは人を惹きつけるから、どうでもいい人に気分を引かれたくないのだ。
どうでもいい人とはつまり、妻と、友達と、道ですれ違う人と、ネットの知り合い以外の全ての人たちである。

自分がやって当たり前だと思っていること、いや、やる以外の選択肢が与えられず、やらざるを得なかったことをやって、褒められたり有り難がられたりしても、それは気持ちが悪いだけである。おれが選んだことではないから。おれは状況に屈しただけである。屈したことを褒められたのだ。腹が立たないわけがない。おれは選んでなどいない。選ばされただけだ。
自分で自分をうまくコントロールできないから、他人に自分をコントロールしてもらおうとする。その手ぎわや方針に異を唱えることはないが、気に入らなければ去ろうとする。自分がどこかに属するとき、おれはいつもそのようにしているかもしれない。これでは居場所を作っているとはいえない。一員になるというよりは、すき好んで奴隷になるか、その場を嫌って去るかの二択しか待ち受けていない。
おれはわがままにやっているつもりである。実際、そのわがままを咎められたりする。だけれども基本的にはがんばっている気の利くヤツだと言われる。その結果、似合わぬ権限を与えられて決断に苦労し、嫌いなことが周りに増える。なぜだろう。
わがままにやっているのではない。たまに迷惑をかけているだけである。そして運の良いことに、また感謝すべきことに、あるいはまた不幸なことに、たまの迷惑程度でおれは嫌われたりしない。それは生来の性質である。
やりたいことを優先するのがわがままである。やるべきことを突然放棄するのはただの迷惑である。
自己主張の正しいやり方を知らないまま生きているのだろう。周囲に自分をわかってもらいつつ、思い通りに自分をコントロールして、妙なヘマをしないこと。突然頭をぶつけるとか、忘れもしないようなことを忘れるとか、そういったことは自分を身体的思考的にコントロールできないゆえに発生する。
周囲の事物に埋もれて目隠しをされ、手当たり次第自分の体の周囲にある事物を片付けるような状況に追い込まれることが多い。それは仕事の中でも暮らしの中でもそうである。
今の自分の仕事を、今の自分の仕事と認めることができない。よい環境で働こうが関係がない。自分は「本当に大事なこと」の片手間にこの仕事をやっているのだという自認がありながら、実際の時間配分はそのようになっていないのである。おれはその乖離に苦しんでいる。
では、おれは、今の仕事を、自分の仕事と心底認めてよいのだろうか?そしてなぜ、自分はそうすることを拒むのだろうか。自分のすることを選ぶこと、おれはどうして選ぶのだろうか?
今や認める、認めないではないのだ。今この仕事をすることは、金が尽き、家を失う恐怖に抗うもっとも手軽な方法である。
また、就職した当時のことを考えてみよう。当時のおれは何を恐れていただろうか?多分、何も恐れてはいなかっただろう。就職できなかったとて実家で暮らすことができるのだし、すごく金がほしかったわけでもないから、なんとなく、就職したほうがいいだろうと思って就職したにすぎない。あるいは、他者との事情を考えるのであれば、卒業したら結婚して共に暮らす予定があったというのはある。ただ、それは自分の中で就職という選択の大きな決定打、結婚して一緒に住みたいからそのための生活費を稼ぐのだと息巻いていたわけではないから、おそらく違う。
あの選択は、なんとなくであった。何を恐れるかもよく知らず、良さそうだと周りがいう方向へ進んでいった。
いま、それは生活の中の多数の恐怖を金で解決するための最も手軽な手段になっている。